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トヨタ2000GTのエンジンはヤマハ製という話ですが。 でも当時の...

トヨタ2000GTのエンジンはヤマハ製という話ですが。

でも当時のヤマハにクルマ用の6気筒DOHCエンジンを開発する技術があったのですか? トヨタ2000GTが発売された60年代後半のヤマハというと2サイクルの小排気量が専門のメーカーだったのでは。
ヤマハが4サイクルのバイクを初めて発売するのは70年代に入ってから。
4サイクルの4気筒の大型バイクを初めて発売するのは70年代後半になってからです。
ヤマハが本気で4サイクルを始めたのは80年代半ばのジェネシスからです。

日本のバイクメーカーで4サイクルに転換するのが一番遅かったヤマハが60年代にはトヨタ2000GTのエンジンを作れたというのが不思議なのですが。
歴史的に見てトヨタのスポーティエンジンがホンダのスポーティエンジンに比べて劣るのは、ヤマハの4サイクルエンジン技術が遅れていたからなのではと思うのですが。
Yahoo!知恵袋 4661日前
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チョット長いけどikipediaからの盗作を

ヤマハ発動機の技術供与 編集
ヤマハ本社にて展示されている2000GT、3台しか生産されなかったゴールド塗装車のうちの1台。シャシー番号10132同時期、オートバイメーカーとして既に日本を代表する存在となっていたヤマハ発動機では、日産自動車と提携してクローズド・ボディの高性能スポーツカーの開発を進めていた。日産との協力で開発コード「A550X」と呼ばれる試作車2も作られたが、この計画は日産側の事情により、1964年に開発途中で頓挫した。

そこでヤマハでは、スポーツカー開発のあらたなパートナーとして、トヨタ自動車工業にアプローチした。既にスポーツカー開発に着手していたトヨタ側もこれに応諾し、プロジェクトリーダーの河野二郎、デザイン担当の野崎喩、エンジン担当の高木英匡、シャシーと全体レイアウト担当の山崎進一の4人を中心に1964年末から共同開発が開始された。この際、同年12月末にはトヨタ側の開発メンバーがヤマハに赴き、A550X試作車を実見している。

翌1965年1月より、トヨタ側の開発陣、河野、野崎、高木、山崎の4名がヤマハ発動機に出向き、2000GTの開発プロジェクトを推進していった。開発の本拠をヤマハ発動機に移すことになったのは、「本社は一切タッチせず。プロジェクトは(前出の)4名とヤマハ発動機でまとめること」という異例中の異例の方針をトヨタが打ち出したためである。開発プロジェクトは順調に進み、4月末に最終設計図が完成。計画開始から僅か11ヶ月後の8月に試作車の第1号車が完成し、トヨタ自動車に送られたのである。

当時のトヨタは実用車主力のメーカーで、高性能エンジン開発や高級GTカーの内装デザインなどには通暁しておらず、2000GTの高性能エンジンや良質な内装には、ヤマハ発動機のエンジン開発技術や日本楽器の木工技術が大いに役立てられている。

ヤマハ発動機は戦時中に航空機用の可変ピッチプロペラの装置を製造していた技術・設備を活用するため、1950年代中期からモーターサイクル業界に参入して成功、高性能エンジン開発では10年近い技術蓄積を重ねていた。また1950年代後半以降のモーターサイクル業界では、四輪車に先駆けてSOHC・DOHC弁配置の高効率なエンジン導入・研究が進んでいた。このような素地から、ヤマハはトヨタ製の量産エンジンを改良して、DOHCヘッドを備えたエンジンを製作することができた。

またヤマハは楽器メーカーが前身で、楽器の材料となる良質木材の取り扱いに長けていたことを活かし、インストルメントパネルとステアリング(ともに前期型はウォールナット、後期型はローズウッド製)の材料供給・加工までも担当した。

「開発丸投げ」の俗説 2000GTはその成立過程での2社共同開発体制という特異性に加え、実車生産についても、ヤマハおよびその系列企業に委託されたこともあり(後述)、「果たしてトヨタが開発した自動車と捉えるべきか」という疑問が、愛好者、評論家の一部によって呈されている。

自動車関係の書籍・雑誌では古くから、更に近年では個人によるブログ上などでも(しばしば前後に、自社技術のアピールを目的として2000GTを市販したトヨタへの侮蔑的言辞を伴って)「トヨタは2000GTの自力開発ができず、ヤマハが開発・生産したスポーツカーを買い取っていたに過ぎない」「これは実際には『ヤマハ2000GT』というべきものである」とする辛辣な評、更には「日産・2000GT試作車=トヨタ・2000GTの原型」と断じる極端な説までもがごく一部で流布されている。

このような批評や風説が生じた背景には、トヨタ側単独でのシャーシ開発期間がわずか数ヶ月間ほどで、開発作業期間としてはあまりに短すぎるのではないかという現実的疑問、およびA550XとトヨタGTの開発時期がほぼ前後していて、ヤマハが日産からトヨタへと短期間で提携先を変えたという経緯の不明朗さがあり、自動車マニアや自動車ジャーナリズムが元々抱いていたトヨタの技術水準への疑念3と相まって、トヨタへの不信となって表れたものと見られる。
このような経緯から、両社の開発分担が厳密にどのようなものであったのかについてはなお諸説紛々としているが、2000GT開発のプロジェクトリーダがトヨタの河野二郎であったことや、トヨタで行なわれた初期設計およびヤマハ発動機で行なわれた詳細設計にトヨタ側のエンジニアが一貫して参加していた事実を勘案すれば、「開発丸投げ」説は真相を正確に反映しているとは言えず、不適当と処断せざるを得ない。また、ヤマハ発動機は2000GTの開発に中途参加した経緯があり、開発への関与は限定的であったため、開発において主導的な立場をとれるものではなかった。このことから、ヤマハ発動機側は2000GTの開発についての公式な言及を「ヤマハの技術供与」としている。

参照:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%A8%E3%82%BF%E3%83%BB2000GT
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質問者が納得NSX や GTR のリフレッシュプラン かあ。高いですねえ。 レクサス・LFA はもともとワンオフみたいなもんですし。 トヨタ 2000GT だとリフレッシュというよりレストアのような気がします。(笑) ほんとの意味で、長く乗るためのリフレッシュができる作り方というと、市販車レベルでもサスペンションのブッシュ類をいまだに圧入していて単体交換可能になっている SUBARU みたいにしてくれないとダメなんじゃ。。
3599日前view35
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質問者が納得はじめましてm(_ _)m 自分は車好きな事もあり、断然『2000GT』ですね!! 理由は二つで単純に、あの年代の車には無いスポーティーかつスタイリッシュなデザイン。 もう一つの理由は、何と言っても希少価値の高さです。 そもそも『2000GT』は当時、370台前後しか生産、販売していません。 まず、レストアのベースを探す事自体が難しいです。 現在、国内でも数台ほどしか無いと思います。 確かに、自家用で乗るには維持費がかかります。 それを踏まえても、すでに1千万円の価値はお釣りがくるほどだと思い...
3987日前view39
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質問者が納得限定3000台とかでヤマハ発動機本社磐田工場で組み立てているのを見ました。一部のトラックのエンジンも組み立てていますよ。 ヤマハ発動機ですからエンジンを製造してトヨタに販売しています。
4385日前view35
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質問者が納得名車と云うより、日本の自動車史の中で一つの頂点だと思います。価格は現在の価値で2000万円、エンジンもヤマハが開発したとは云え日本の技術と職人芸の融合と云えるモノです。製造台数も337台で希少価値も有るのでしょう。現在の車に例えるならレクサスのLFAと言えるかも知れませんがLFAは工業製品、2000GTは工芸品と言えるモノです。そしてソレが時々、一般公道を走って居るのを見る事が出来るのも凄い事です。写真は高速のサービスエリアで偶然隣に停車したモノですが、フェラーリやランボルギーニとは又違った日本的な優美な曲...
4389日前view63
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質問者が納得仮に同じ値段だとしても「2000GT」の方を買います。
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